Not Found

何処にも居ない 居てはいけない

願い

いっしょにふるえて下さい
私が熱でふるえているとき
私の熱を数字に変えたりしないで
私の汗びっしょりの肌に
あなたのひんやりと乾いた肌を下さい

 

分かろうとしないで下さい
私がうわごとを言いつづけるとき
意味なんか探さないで
夜っぴいて私のそばにいて下さい
たとえ私があなたを突きとばしても

 

私の痛みはわたしだけのもの
あなたにわけてあげることはできません
全世界が一本の鋭い錐でしかないとき
せめて目をつむり耐えて下さい
あなたも私の敵であるということに

 

あなたをまるごと私に下さい
頭だけではいやです心だけでも
あなたの背中に私を負って
手さぐりでさまよってほしいのです
よみのくにの泉のほとりを

失敗からの再スタート

眠って起きた。

 

今日も同じ天井、今日も同じ布団、変わったのは最近少し暑いということ。

私の中身は何も変化がなく、まるで風の吹かない日の湖のように無音だった。

心がからっぽだと気付いたのはここ最近で 気付くと私は涙を流していた。

 

涙を流すので、化粧は崩れることがないように薄めにしていた。

 

ヴァイオレットエヴァーガーデンを見た。

「君は燃えて火傷をしているんだ」というフレーズにやられて、私の中も燃えてやけどをたくさんしているのか考えた。

 

感動したのはそれだけだ。

他のものは何も心を揺さぶることなく、私はどんどん小さくなるみたいに。

憔悴していってるみたいに……

 

大切なものは傍にあるのに ここを離れてはいけないのに

どんどんもう1人の私が私を覆う。

血を望み、死を願い、消失を願う。

 

ぜんぶどうでもいい。

 

気づけば私は無言になっていて、優しい恋人が手を握る。

恋人の手は冷たく私の手は暖かった。

 

無言だ。

 

無言が続く。

 

3度目の失敗

私が自宅の居間で、貯めに貯めた薬を何百錠か飲んだのは17の時。

私は卒倒し、母は「娘が死んだ」と思ったらしい。

確かに私は1回死んだ。

心臓が止まったのだった。

その時失敗してなけりゃ、こんなことにはならなかっただろう。

 

 

それから何十年か経ってまた同じ事。

明日を生きたかったはずの(若しくは死ぬなんて予想していなかったであろう)(若しくは本当に生命を経つつもりだった人の)知人の葬式に参列し、

動物の遺体のエンジェルメイクを覚え、「なんだか似合うわ」と言われ

それなりに生きてきた何年間か、友人とした会話の中で1番覚えてるフレーズ。

 

 

お腹の中にまだ赤ちゃんがいた彼女。(以下Mちゃん)

希死念慮を覚えている彼氏。

 

1度目彼は飛び降りた。

顔面、身体中にボルトを入れ リハビリに耐えて、ふつうに生活ができるようになった頃彼の希死念慮はまたやってきた。

 

お腹の中に赤ちゃんがいることを彼に伝えていなかったMちゃんは

1度目の飛び降りより更に高い階から飛んだ彼のことを

「やっとのことで逝けたっぽい」と言った。

彼がこの世を去って、赤ちゃんを無事産んだ9年後のこと。

 

彼と同じく飛び降りで全身を骨折し、車椅子状態だった私を見舞いに来た時にぽつりと話したのだ。

 

私たちは何があったとか、こういう経緯だったとかは話さない。

連絡を取る必要があるなら話し、連絡を取る仲だ。少し変わってるのは

私が3度目の失敗をした後、

 

またやった。失敗

 

ーーーなに?ヘラってたの?

 

すごく会話がシンプルだということだ。

 

ーーー私も最近死のうと思ってて男に首絞めてもらうんだけど、意識落ちるだけで何もならんのよな。どうやったら死ねるのかな

 

 

彼女が自分の生死に疑問を持つのは当たり前だと思ったし、ごくごくシンプルでスムーズな会話だった。

 

 

死ねる方法か。分からない。

でも私は寿命だと思う。何やったって、3回目失敗したら あとは寿命。その人の寿命が来なければどれだけボロボロになったって、死ねないと思う。

 

ーーーやっぱり寿命かぁ。

 

Mちゃんも常に疲れている。もがいている。

彼女の苦労をつらつらと聞いたことはないが、いつでも疲れている、という雰囲気が背中から伝わってきた。

3度目の失敗をしてもMちゃんは私に「生きなよ」とは言わなかった。

だからといって「死ねよ」とかも言わなかった。

私たちはいつも生きようという話は特にしなかったんだった。

 

ただ起こったことを伝えたら、そういう会話になっただけだ。

私たちは怒られるようなことをしているのか。そもそも怒ってくれる人がいるのがまだ救いなのか、そんなことも話す気力はなかった。

 

 

今日は雨が降って、寒いらしい。

「寒いね」と話す周りの人の会話が溶けて落ちていく。

 

寒いなんて関係ねーんだよ。

こちとら、うまくいってたら葬式だって昨日のうちに済んでた。

誰かに十字架を背負わせてたらしい。

一生顔も存在も見せることなく ただこの世から消えてた。はずだった。

17歳の時の私がしたかったように消えれたかもしれないんだ。

 

晴れだとか、曇りだとか、寒いねとか、暑いねとかは生きている人間のための言葉だ。

 

誰かの迷惑になっても、誰かの心の深い穴になろうとも、消えたかった。

それが叶わなかった。

 

心臓がバクバクなり続ける。うるせーよ。

だけど、部屋の中に1人でいるのはもっと怖い。

誰にも気付かれず死んでいくことは怖かった。

 

3度目の失敗は矛盾に終わり、誰かにまた怒られる未来が安易に予想できた。

 

 

夜が深くなると共に誰かが誰かのもとへ帰ってゆく。

若しくは誰かが自分のところに帰ってゆく。

 

今こうして葛藤している私でも、いつか死ぬ。

産まれてきたってことは死ねるってことだ。

今そうするかのように、そうなったように生命を終えた人が世界にいるのだと思ったら、ささやかに祈り ささやかにお疲れ様だったとしか思えない。

Mちゃんの彼氏のように。

 

3度目の失敗をしてでも、願わずにはいられない。

誰に怒られても。自分に怒鳴られても。パートナーにまた泣かれても。

思わずにいられないし、数日前に悔いが残る。

 

どうか誰も悲しまずに悔やまずに、私が逝けますように。

安心して眠ってと思って欲しい。

私が誰にもそうするように。

 

 

だけど、それにはまだまだ時間がかかるらしい。

 

 

 

告白

私の中のあなたをいつも殺して生きてきた

誰もが知るあの歌が私には響かない

 

笑いたい時ではなく 笑うべき時に笑って

狭い水槽の中を真四角に泳いだ

あなたが私を掬い上げてくれるならそれを運命と呼ぼう 叶わないけれど

 

もがき 足掻き 泣きわめき叫べど

あなたに届かない芝居

愛がほしい

ただそれだけなのに巡れど巡れど闇は闇

 

痛みに気づかぬふりでさらに傷口は広がり

張り詰めた街の中で逃げ道を探した

明日を願うとなぜか悲しみが襲う

群れをなす同じ顔が飛び出せずにいる

 

騙し 騙し あなたに近づけば

心が血を流す悲劇

愛が嫌い 醜い嘘をつき

廻せど廻せど裏は裏

 

もがき あがき 泣きわめき叫べど

あなたに届かない芝居

愛が欲しい ただそれだけなのに 巡れど巡れどおなじ

脚本のない人生の舞台で誰もが泣き笑い芝居

「愛をください」台詞が首を絞め もがけど あがけど幕は開く

 

生存戦略

ものすごいスピードで毎日が過ぎていった。

気付いたら春だったし、私には彼氏ができていた。

 

そしてものすごく疲れていた。

毎日、仕事で何だかんだ愚痴られ 帰れば男がいて 私をよく知る人は「あなたみたいな子は男がいた方がいいよ」と言ったが。

 

ぷつん と音がして私は今まで耐えることが出来た痛みに耐えることが出来なくなった。

息が出来なくなった。

 

窒息した。

 

 

人から見たら幸せの過剰摂取で窒息しているのだと思う。

だけどこれが幸せだと思うかはまた別のことだとも思う。

 

私は今まで一人で自由気ままに過ごしてきて、それがなくなった途端また全然違う自分になってしまったようだ。

 

(だからと言って悪いことではない)

 

 

とりあえず疲れた。

私を心配しているような猫はピッタリとくっついて眠った。

 

ーーーお前も疲れたよね。

急にお家に人呼んで、ごめんね。

 

全くだよ、とでもいうように猫は小さく鳴いた

朝起きる方法

夜型生活が長かったせいか朝起きることができない。

朝起きる為には、鎮痛薬の副作用を殺す漢方を飲まなければならない。

鎮痛剤の眠気は強力で 漢方を飲まないと何時間でも眠ってしまう。

 

朝、鎮痛剤を飲み そのまま漢方を飲む(飲みこみづらい)

気分が悪かったら朝の薬を飲む。

薬が必要なのに薬が嫌いなのは量の多さと飲み込みづらさだと思う。

ふと何種類もあるピルケースを見ると気分は落ち込む。

何故生きるためにこんなものを飲まなきゃいけないのか。

全てを司っているのは脳だけれど、何故こんな小さなものが効くのか。

 

突然全部捨ててしまいたくなる。

 

 

こないだの事。

今年の冬はずいぶん寒いので、久しぶりにロフスト杖をついて歩いてみた。

やはり体重移動が上手くいくので足が軽い。杖を持てば、持っていない時よりずっと歩ける。

 

駅のエレベーターが工事中で いつの間にか工事は終わっていた

 

「あ、エレベーター治ってる。私の足も治らないかなあ」

と冗談で言ったつもりだったが自分で言ってしまったと思った。

 

自分が「痛い」と言っていると不思議な気分になる。

多分、人が「痛い」とか「しんどい」とか言っていたらどういう系の痛みか想像できる範疇なら対処できるが、

骨折後の「これ」は骨折した人にしか分からない。

健脚の人がサクサクと歩いていくのを見て「すごいなあ」と思ったりする。

私も昔は全力疾走できた。足が痛いだとか 腫れた部位に触れることがどんなことか

想像もできなかったのを自分でぶち壊したのだから、とことん馬鹿だと思う。

 

自分が歩くことができず落ち込んだことはない(と思う)

が、人生において 欠陥ができてしまったのは事実だ。

 

身体の形も変わった。

健脚だった頃の写真を見たりして、元気そうだなと思ったりする。

 

杖をついている自分が街中で鏡に映ったりすると、笑いたくなる。

車椅子に乗った自分を見て思わず吹き出した友人の気分がわかる。

 

ーーーなんて格好。

と思うと目を逸らしたくなる。

 

あれほど好きだったヒールは履けなくなったし、可愛いワンピースを着ても靴は足が痛くならないようにぺたんこ靴。

 

中途半端にいかなきゃよかったのに。

 

親友の夫は、親友の子供が産まれる前に飛び降りた。

一度目は顔面にボルトだらけで1年頑張ってリハビリしたらしい。

その数年後、彼の本当の願いは叶ってお空に行った。

 

ーーー勿体無いよね。1年頑張ったのに。 でも、2回目は成功したよ

 

気だるそうに話す彼女の背中には天使の羽のタトゥーが入っている。

 

こんなことをつらつらと書いてる間、気だるくてかわいくて、つらいなんて言わない親友に会いたくなった。